御祭神
應神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)
御由緒
社伝によると仁徳天皇の六十八年、平穏な日々が続いていた相武(相模)の国に大地震があり里人の苦しみの様を
聞かれた天皇が国土安穏を祈願して應神天皇の御神霊をお祀りされたのが平塚八幡宮の始まりで

そしてまた平和な日々が続きました。

推古天皇の御代にも大地震があり人々を案じられた天皇は
当宮に「鎮地大神」の御宸筆を賜り宝剣
「天晴彦(あめのはるひこ)」を御奉納になりました。
その後も朝廷の信頼篤く、また源頼朝公は夫人政子の
安産を祈願して神馬(白馬)の献上、徳川家康公をはじめ
武人の信仰もあつめ、特に家康公は社領を寄進し御社殿を
造営しました。

平塚は日本橋を起点とし東海道第七番目の宿場として賑わい、
旅人は皆 道中の安全を祈り社頭は大いに栄えました。
明和二年 社僧 本誉還真は十八年かけて浄財を集め青銅鳥居を
奉献、奉賛者名は今も鳥居に刻まれて境内にそびえています。
明和六年 官の達示により社名を「八幡神社」と改称しました。
明治二十七年 明治天皇 皇女常宮昌子内親王 周宮房子内親王が
ご参拝し社前に松樹をお手植え、神池に緋鯉をご放生になりました。
大正十二年大震災の被害は大きく御社殿も崩壊しましたが、
氏子、崇敬者の尽力のもと昭和三年に再建され、これが現在の
御社殿となります。

その後、国際間の緊張がついに高まり、
大東亜戦争となり昭和二十年の空襲で全市崩壊状態に
なりましたが、終戦後は商業・工業都市として
復興大発展し湘南ひらつか七夕まつりは全国に知られ、
八月十五日の例大祭はもちろん千年余の歴史を持つ國府祭と共に、
年々盛大に祭礼が斎行されています。

平塚八幡宮は、應神天皇、神功皇后、武内宿禰命を御祭神に、鶴峯山八幡宮と称し相模國一國一社八幡宮として、
また鎮地大神と仰がれ、厄除、招福、文化、限りない母の慈しみの神として数多くの方がご参拝になり、
昭和五十六年には、輝かしい歴史と共に創祀千六百年を迎えました。
昭和五十三年 国と神社本庁の承認を得て、再び「平塚八幡宮」と改称、社頭の繁栄と共に「神事能」「歩射神事」
「ぼんぼり祭」「子供まつり」等、新しい文化の交流の場として平塚市民の鎮守の杜として
心のふるさととなっております。

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